神父さまを偲んで
昨日(9月4日)は、藤原神父の3回目の命日だったので、緩和ケア病棟の祈りの部屋で、神父さまを偲んで、短いお祈りを捧げさせて頂きました。

ところで、みなさん、「藤原神父って誰やねん。」って思ってません。……思いますよね。無理もありません。僕らだってそうです。というのも、昨日、お祈りの前に廊下や詰所を見渡してみたんですが、神父さまのことを知らないスタッフばかりでした。たった3年間で、ほんと多くのスタッフが入れ替わっているんですね。時がたつのが早いことと、世の中の変化が早いことに、驚かされます。
さて、たかはし先生は、12歳~18歳までの多感な時期を淳心学院で過ごしました。そのせいか、カトリックの神父さまといえば、異様に日本語の上手なベルギー人というイメージが焼き付いていました。淳心学院卒業後は、(1年間の浪人のすえ)奈良医大に入学し、6年間学びました。大学卒業後も、そのまま大学病院で14年間麻酔科医および緩和医療科医として働かせていただきました。奈良にいた、この20年間は、カトリックとは縁遠い生活をしていましたから、『神父さま≒ベルギー人』というイメージは焼き付いたままでした。ところが、40歳を前にして姫路に舞い戻り、当院緩和ケア病棟で働き始めると、日本人の神父さまがいらっしゃることに、まず驚きました。ただ、冷静に考えてみると、『日本のカトリック医療施設に日本人の神父さま……、当たり前じゃん。』と思い直し、そこから藤原神父とのお付き合いが始まりました。

いろいろご意見もあろうかと思いますが、たかはし先生は、『緩和ケアの役割は、病に侵された人に最後の慰めと安らぎを提供すること』だと思っています。痛みにさいなまれる人がいれば、適切に鎮痛薬を処方する。呼吸困難感にさいなまれる人がいれば、酸素吸入を開始し、少量のオピオイド鎮痛薬や抗不安薬を処方する。世の中には、これが緩和ケアだと仰る方がいます。でも、これらの医療介入は、安らぎを提供しているのではないと思います。単に、病に侵された人が、安らぎを得られるように準備をして差し上げているだけだと思います。その人にとって、最後の慰めと安らぎが何であるか、語って頂けるように準備しているだけだと思います。私たちが行うべきことは、ひとりひとり違う価値観をもつ人に対して、その人にとっての最後の慰めと安らぎが何であるかをお聞きし、それを提供することだと思います。しかし、時として(けっこう多いのですが)、ご自身の価値観を語って頂けないことがあったり、語られた望みが到底提供できないものであったりすることがあります。こういった場合、私たちは、思い、悩み、自分達の力のなさに挫折感を感じたりします。こういった時、藤原神父は、聖書の言葉を引用して、とてもわかりやすく、私たちに進むべき道を示してくださいました。もちろんNative Japaneseで(^ο^)
最近、緩和ケアという仕事で、思い悩むことが増えました。神父さまがお亡くなりになって3年。私たちは、進むべき道を見失いかけているのかもしれません。だから、昨日は、こうお祈りさせて頂きました。「神父さま、天国で安らかにお過ごしのことと思いますが、ちょっとお願いがあります。近くに神さまいてはるでしょ。その神さまに『姫路聖マリア病院に新しい神父さまを派遣してください。』って頼んでくださいよ。今年、若い、とても優秀な医師を、私たちのもとに遣わしてくださったようにね。」と。
以上、昨日の出来事でした。若い、とても優秀な医師については、また後日。
たかはし